第3章 イスラームの 一般知識

その章を聞く

1)神への信仰

ムスリムは、唯一絶対で何ものにも比べざるところの神を信じる。神は息子も配偶者もなく、かれの他に崇められる権利を有するものは誰1人としていない。かれこそが真の神であり、他の神格は全て偽物である。かれは最も崇高な御名と畏敬すべき完璧な属性を有している。神の神格や属性を侵すものは何1つとしてない。クルアーンの中で、神は自らについてこう述べている。

言ってやるがよい。“かれこそは神、唯一なる御方である。かれは自在され、全ての創造物はかれによって存在する。お産みなさらないし、お産れになられたのではない。かれに匹敵する何ものもない。”

(クルアーン 112:1-4)

その唯一神の他に、礼拝、祈願、崇拝の対象となるにふさわしいものは何1つとしてない

アラビア書道で書かれたクルアーン112章}

その神だけが全能者、創造者、統治者、そして全宇宙の万物の維持者である。全ての物事はかれの管理下にあり、かれは自らの創造物から何も必要としないが、全ての創造物はあらゆる面においてかれを必要としている。かれはあらゆることを聞き、見、知っている。かれの叡智は完璧であり、公のことも秘められたことも、全てを包含する。かれは過去に起こったことも、これから起こることも、それがどのように起こるかも 全て熟知している。世界中のあらゆる出来事は、全てかれの意志に基いて起こる。かれが望むことは全て現実化し、望まないことは決して起こらない。かれのご意思はあらゆる創造物の意志を凌駕している。かれは万物を支配し、全能である。かれは最も恵み深く、慈悲あまねく慈愛深い御方である。預言者ムハンマド の言葉によると、神の慈悲は母親の子に対するそれよりももっと深い。1神は不正や暴虐とは無縁であり、その全ての裁決と実行において英明である。誰でも何かを祈願したい者は、かれとの間にいかなる仲介者を置くことなく、かれに直接訴えかけることができる。

神はイエスではなく、イエスは神ではない。2イエス自らもこのことを否定している。クルアーンの中にはこうある。

神こそは、マリアの子メシア(イエス)である”と言う者は、実に不信仰者である。メシアはこう言ったのだった。“イスラエルの子らよ、私の主であり、あなたがたの主である神を崇めなさい。”およそ神に何ものかを並べて拝する者は天国の楽園を禁じられ、その行き先は地獄の業火となる。不義を行う者には、3いかなる援助者もないのである

(クルアーン 5:72)

神は三位一体ではない。またクルアーンの中で神はこうも語っている。

神は三位の一つである”などと言う者は、実に不信仰者である。唯一の神の他に神はないのだ。もしかれらがその言葉を止めないなら、かれら不信仰者には、必ず痛ましい懲罰が下るであろう。彼らは何故、悔悟して神に御赦しを求めないのか。誠に神は寛容にして慈悲深くあられる。マリアの子メシア(イエス)は一人の使徒に過ぎない..

(クルアーン 5:73-75)

イスラームは、神が万物創造の第7日目に休息したこと、神が使徒の1人と取っ組み合いをしたこと、神が人間に嫉妬して 陰謀をはたらくこと、神が人間の姿をしていることなどを全て否定している。またイスラームでは神に人間と同様の属性を与えることを否定する。これらはすべて神への冒涜である。神は至高であり、あらゆる非完全性か ら無縁なのだ。かれは疲れることもなく、まどろむことも眠ることもない。

アラビア語のアッラー は神(全宇宙を創造した唯一の、真なる神)を指す。この アッラー という言葉は神の名前であり、ムスリムであろうとキリスト教徒であろうと、アラビア語を話す人々は神をこう呼ぶ。この言葉は、唯一の真なる神以外に対して使われることはない。アラビア語の アッラーという言葉はクルアーンの中で約2700回出現する。アラビア語と 近縁で、イエスの話していた言葉であるアラム語でも、4神はアッラーと呼称されている。

2)諸天使への信仰

ムスリムは天使が実在すること、そして彼らが高貴な創造物であることを信じている。天使は神だけを拝し、かれに服従し、かれの命令によってのみ行動する。ガブリエルもこうした天使のうちの1人で、ムハンマドにクルアーンを伝達する役割を担ったのは実に彼である。

3)諸啓典への信仰

ムスリムは、神が人類への証しと導きとして諸預言者に啓典を下したことを信じる。これらの啓典の1つがクルアーンで、それは神が預言者ムハンマドに啓示したものである。神はクルアーンが、あらゆる改ざんや歪曲から守られることを保障している。神はクルアーンの中でこう宣言した

本当にわれこそは、その訓戒(クルアーン)を下し、必ずそれを(改ざんから)守護するのである

(クルアーン 15:9)

4)諸預言者・使徒への信仰

ムスリムは、アダムから始まり、ノア、アブラハム、イシュマエル、イサク、ヤコブ、モーゼ、イエス(彼らに平安あれ)らがその系譜につながるところの、神の遣わした諸預言者と諸使徒を信じている。そして神はその永遠のメッセージを再確認するものとして、人類に対する最後のメッセージを啓示した。それこそが預言者ムハンマドにくだったものである 。ムスリムはムハンマドが神から遣わされた最後の預言者であると信じている。クルアーンの中にはこうある。

ムハンマドは、あなたがたの誰の父親でもない。しかし彼は神の使徒であり、預言者たちの封緘(ふうかん)なのである..

(クルアーン33:40)

ムスリムは、これら諸預言者・諸使徒が全て被造物の人間に過ぎず、神格などは有していないと信じている。

5)審判の日への信仰

ムスリムは、審判の日(復活の日)を信じる。それは全ての人々がその信仰と行いによって神の裁きを受けるため、蘇らされる日のことである。

6)天命への信仰

ムスリムはカダル(神によって定められた天命)を信じる。しかしこのことは、人間が自由意志を持たないということを意味するのではない。むしろ、ムスリムは神が人間に自由意志を与えたことを信じている。すなわち、人間は善悪を 判断することができ、自らの選択に責任を持つということである。

天命への信仰は、次の4つのポイントを信じることが含まれる。1) 神は過去も未来も全て知っている。2) 神は過去に起こったこともこれから起こることも全て記録している。3) 神が望むことは起こり、神が望まないことは実現しない。4) 神は万物の創造主である。